
東京が被爆都市にならないための決死の演説≠ノ刮目…でも全文紹介は産経のみ 作家・ジャーナリスト・門田隆将
それは「生存」を賭(か)けた凄(すさ)まじい演説だった。
衆院の解散総選挙で、政界は政治家たちによる生き残りを賭けた闘いに突入している。しかし、新聞のあり方を考えさせられたのは、むしろその前に国連でくり広げられた熾烈(しれつ)な闘いに関する報道ではなかったか。
北朝鮮の領袖(りょうしゅう)、金正恩(キムジョンウン)氏を「ロケットマン」と呼び、13歳で拉致(らち)された横田めぐみさんに言及したトランプ大統領の演説の翌日、安倍晋三首相が国連総会でおこなった演説に、私は刮目(かつもく)した。
まさに日本人が生き抜く、つまり「東京が第三の被爆都市にならないため」の決死の覚悟を示した演説だったからだ。
「不拡散体制は、史上最も確信的な破壊者によって深刻な打撃を受けようとしている」「対話とは、北朝鮮にとって我々(われわれ)を欺(あざむ)き、時間を稼ぐための最良の手段だった」「北朝鮮に全ての核・弾道ミサイル計画を完全な検証可能な方法で放棄させなくてはならない」「必要なのは行動。残された時間は多くない」
1994年から続く北朝鮮の核問題の経緯を時系列にわかりやすく説明した上で、首相はそう強調した。私はこの問題の根源を思い浮かべながら演説を聴いた。
日本人の多くは、もし、金正恩氏が核弾道ミサイルの発射ボタンを押せば、「報復攻撃によって自分自身が“死”を迎え、北朝鮮という国家が地上から消滅する。だからそんなことをするはずはない」と思っている。まともな人間なら、そう考えるのは当然だ。しかし、果たして相手は「まとも」なのだろうか。
叔父を虐殺し、実の兄を殺した可能性も濃厚で、気に入らない幹部や部下、そして多くの人民を常軌(じょうき)を逸した方法で処刑してきた特異な人物−それが金正恩氏である。
破滅的な人間は、往々にして自分の死を願うものであり、同時に“道連(づ)れ”を探すものでもある。
その人間が核兵器を持ち、それを目的地に飛ばす力を持っているとしたら、どうだろうか。今なら起爆装置をはじめ、核弾頭ミサイルの完成には、まだいたっていないかもしれない。だが、1、2年後には、おそらく、全てが成就しているに違いない。
その核弾道ミサイルの射程内にあり、標的となっている日本の首相の国連演説には、そのことに対するリアリズムが満ちていた。東京が史上三番目の被爆都市になることだけは何としても避けなければならない。その決意と怒りが込められていた。
私たちはこのまま北朝鮮の核ミサイルの完成を待ち、「何千万人の犠牲者」が出るのを許すのか、あるいは、完成後の北朝鮮との国家間交渉で、日本は以後、北朝鮮の“貯金箱”となるのか、ということである。
しかし、この演説の全文を紹介したのは、産経1紙だけであり、多くは「解散の大義はあるのか」などと、愚(ぐ)にもつかない報道をするばかりだった。自らの生存の危機にすら気づかず、リアリズムを失った日本の新聞に「未来」はない。
http://www.sankei.com/column/news/171001/clm1710010006-n1.html