就職氷河期世代――、またの名を『ロストジェネレーション』が世間を賑わせている。
「就職氷河期世代」はバブル崩壊後、雇用環境が特に厳しい時期に就職活動を行った世代で、希望する職に就くことができず、現在も不安定な仕事に就いている人が多い。
政府はこの世代の正規雇用を増やすといった目的で、ようやく「就職氷河期世代支援プログラム」を打ち出した。
82年生まれの筆者もロスジェネ世代真っただ中で、就職には苦労した。
同世代の大卒女性たちは、アグレッシブで真っすぐな性格の女性たちが多かった。
そんな女性たちが、エントリーシートを何百社に送ったのにも関わらず、落ちて死んだ目になる姿をまざまざと見せつけられてきた。
「氷河期第一世代」の女性が味わった苦難とは
特に地方在住の大学に通う同期は、Uターンの先である地元の就職先がないため、都会に職を求めざるをえなかった。
ぴっちりとしたリクルートスーツを着込み、なけなしのバイト代を夜行バスにつぎ込んで、幾度となく上京しては往復するという生活で金が飛ぶように消えていった。
当然学業はおざなりになるが、就職戦線で勝ち残るためには当然という空気感だった。それでも、正社員として就職できた同期には羨望のまなざしが向けられた。
業務委託や契約社員という雇用形態が当たり前だったからだ。就職できないのは『自分の至らなさ、無能さ』のせい、自己責任だとされた。
そして、運よく入社できた先にもブラック企業などの別の地獄が待っていた。これが82年生まれのロスジェネである私が見た風景である。
しかし、一口にロスジェネといっても、置かれている環境や年代、そして運などで見える世界は人それぞれだ。高卒で社会に出たロスジェネ女子はどんな苦労があったのか――。
通常は、入り口から躓(つまず)くのがロスジェネだが、失速型のロスジェネもいる。
依田律子さん(仮名・46歳)は、バブル崩壊後の最初の世代にあたる氷河期第一世代だ。
「バブルの名残おじさん」におごられる日々
可愛らしいルックスで、おっとりとした話し方をする女性である。律子さんは、地方の高校卒業後、学校の推薦で「特に苦労することなく」大手旅行会社に就職した。
当時の手取りの収入を聞いて驚いた。なんと手取り30万円だという。
そして律子さんは寮生活だったため、生活費もほぼかからなかった。
「当時はまだ高卒をいっぱい採用する流れがあったんですよ。
氷河期といっても、『バブルの名残おじさん』という人たちが周りにはいっぱいいました。お財布がなくても、ご飯を食べているとおじさんたちが伝票持って行ってくれて、ワインも持ってくれる。
不景気なんて全然という感じで、怖いものなしでしたね」
同じ氷河期世代なのに、時期や就職先によって見えている世界はこんなにも違うのかと愕(がく)然とさせられる。
律子さんは、20歳で結婚して2人の子供を出産。当時は寿退社が当たり前で、夫も高卒上京組だったが、勤務先が一部上場企業なので生活に不自由はなかった。
「保育園に預けて働くという選択肢はなかったんですよ。やっぱり子供が小さいときはそばにいてあげたいから。
自分が満足するまで一緒にいたかった。周りは専業主婦が多かったんですね。腰掛で就職して本当にゆったりしたんだなと思いますよ。それが流れで当たり前だったんです」
筆者の同世代の氷河期世代の夫婦は、周囲では共働きが多く、「ずっと子供のそばにいてあげたい」と思っても、それがかなわない同世代もいる。
夫婦二馬力でないと、とてもではないが経済的に家庭を維持できないからだ。
しかし、夫が高卒で公務員だったり、専門性の高い職種で安定した年功序列型の給与水準だったら、一気に勝ち組になる。
律子さんが、「こんなはずじゃなかった」と感じたのは、8年後に夫と離婚してセカンドキャリアの道を歩んだ時だった。
働きたいという思いもあり離婚の1年前から福祉関係の仕事の働き口を見つけたが、正社員でも額面で年収380万円――。
8年間勤務したが、年収ベースでわずか30万円ほどしか給料は上がらなかった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200109-00000025-zdn_mkt-bus_all
1/9(木) 9:00配信